マイ・ライフ・アズ・ア・フォアグラ

 フォアグラは、ガチョウに無理やりトウモロコシを食べさせて、その肝臓にたっぷり脂を溜め込ませることで作る。そんなことは大抵の人が知っているだろうけれど、フォアグラの味を分けるのは、ガチョウの喉をこじ開けて強制的に餌を食べさせている間、ガチョウの喉を優しくさすってあげたり絶えず話しかけてあげることだと聞いたときには驚いた。いったい、愛情があるんだかないんだか。

 ある大切な人が亡くなった報せを受けた日から数日間、あたしが食事をするときには必ず友人の漫画家夫婦が前に座っていた。二人がお皿にふた口三口分の食べ物をよそって寄越し、それをあたしが四苦八苦してお腹に納めたのを見るや即座に、空になったお皿に彼らが同じ分量だけをよそって寄越す……という単純作業だけで成り立つ食卓。「わんこイタリアン」も「わんこちゃんこ鍋」もそのとき初めて経験したけれど、二人に向かって「あたしゃフォアグラか」と苦笑いをしたのが、訃報を聞いてから初めて笑った経験だったのを、いま思い出した。そして、あたしが食べている間、二人が、事情を知らぬ人が聞いたら単にとりとめもない話としてすぐにでも忘れてしまうような、なんの刺激も棘もない温かな話をずっと続けてくれていたことも。いったい、これのどこが単純作業だというのか。

 人の欲によってガチョウは餌付けされ、人の情によってあたしは生かされた。あたしは、欲深で、幸せだ。

 昨日の日記をアップした以降も、さまざまな方がさまざまな形で情をかけて下さいましたこと、厚く御礼申し上げます。万分の一のご恩返しもできませんが、トークショーの応募方法などがだいたい決定いたしました。25日付けの日記で告知させていただきたいと思っております。

 話したいことが、たくさんあるの。