もう耐えられない……

「ネタバレ」が、その価値というか鮮度を著しく下げてしまう類の作品といえば、ミステリーとかサスペンスあたりになるかしら。そうしたリスクをくぐりぬけ、「名作」として残っていくミステリーやサスペンスの「カギ」って、何かしらね。

 アタシは、それが小説作品なら「文体」「文章そのものの美しさ」、映画作品なら「セリフのやりとりの濃密さ」「画面全体から漂う緊張感」、小説・映画の両方に共通するのは「登場人物が魅力にあふれているか」、あたりではないか……と思うの。

 ビリー・ワイルダーが監督した『情婦』という映画が、アタシはサスペンスもので一、二を争うくらいに好きなのですが、原作のアガサ・クリスティのトリックの見事さ以上に印象に残ったのは、悪と善、非情と情の深さ……といった「二面性」を思いのままに操るマレーネ・ディートリッヒの存在感とか、アタシ的歴代ナンバーワンの「タヌキ親父」っぷりをこれでもかと見せつけるチャールズ・ロートンの老獪とか、登場人物たちのウィットにあふれるやりとり……といったものだった。だから、話の筋がすべてわかった後も、二度三度と繰り返し見る楽しみを味わえる、というか(余談だけど、個人的にはこの『情婦』というタイトルは、本来のタイトル『検察側の証人』とは大きくかけはなれているので、サスペンス好きな人がタイトルだけで食わず嫌いをしてしまいそう……)。

 さて、アタシが、世界中のすべての演技者の中でジャンヌ・モローをいちばんに愛していることは、いままでにくどいほど書いているわね。で、『情婦』と並ぶほどに好きなサスペンス映画が、ルイ・マル監督、ジャンヌ・モロー主演の『死刑台のエレベーター』なの。

 ジャンヌ・モローの役どころは、不倫相手(夫の部下)をそそのかし、夫を殺すよう仕向ける、ま、いわゆる悪女役。が、映画の冒頭、恋人との愛を思うままに享受できない切迫感、焦燥、疲れ、狂おしさ……そういったもののすべてが表れているジャンヌ・モローの顔のドアップが画面に映し出され、「もう耐えられない……。愛しているの」とつぶやくことで、「恋人と共謀して夫を殺すこと」の動機、その動機の強さが完璧に示される。誰もが開始10秒以内に、「この主人公は、ただの悪女じゃない」ということが「わかってしまう」わけ。

 恋人の裏切りを疑いながら、セリフもなく街を歩くだけでメランコリーを表現し(素晴らしい演技者は立っているだけで、歩くだけで演技を完遂する、ということを、16歳のアタシに初めて教えてくれたのが、ジャンヌ・モローでした)、恋人の濡れ衣を晴らすために激情をあらわにし、最後の最後で、たまりにたまった恋心を一気に放出するかのような笑顔を見せる……。つまりアタシにとって、『死刑台のエレベーター』は胃がキリキリするような緊張感を最後まで持続したサスペンスである以上に、ジャンヌ・モローの演技力を堪能するための恋愛映画でもあるわけ。だから、これも『情婦』と同様、何度も見るに値する映画になったの。

 で、恐ろしいことに、この2010年の日本において、『死刑台のエレベーター』がリメイクされています。なんでも「オリジナルに限りなく敬意を払い、オリジナルの世界観に忠実に作った」とのこと。ええ、「見てもいないのに『恐ろしいことに』なんて言うのは完全なルール違反だ」とアタシも思うので、見てきましたよ、1800円払って。

 で、感想です。

「手を出さない勇気も、世の中にはある」

 冒頭、アタシがほんの数秒で心をつかまれた、主人公のアップシーン。リメイク版の主演・吉瀬美智子もドアップになり、日本語に訳された同じセリフを電話越しにつぶやいていました。が、アタシったらその瞬間、「ダメだこりゃ」とつぶやいてました、映画館の中なのに。もうね、絶望的に下手。というか、「クール」と「棒読み」を完全に混同している時点で、上手い下手を論じる段階ですらなかったの……。なんか、あまりに無表情すぎて、「この悪女は、ダンナが死ぬことでさらにたんまり金が入ってくることを狙っているのか」なんて邪推のひとつもしたくなるほど、「情」とは無縁な仏頂面。「狂おしいほどの恋情ゆえに夫を亡き者にしたいと願う人間」の姿など、どこにも見ることができなかった。これでいったい、何が「オリジナルに忠実」なのか……。

 まあ、出演者にどんな演技を要求するか、は、監督のセンスにもよるところのほうが大きいので、吉瀬美智子だけに責任を負わすのはフェアじゃないわよね。だってその後も、緊張感どころか間延びしきったシーンが延々続くだけだし、それは完全に監督の責任だもの。

 もし、これをお読みの方々の中で、まだオリジナルの『死刑台のエレベーター』をご覧になっていない方がいるのなら、ぜひオリジナルのほうを見てちょうだい(リメイク版のほうは、そうねえ……、怖いもの見たさとか、「同じテーマを扱い、シナリオもほとんど同じ、それどころかカット割まで酷似した2つの作品が、これほどまでに出来が変わるのか」という、ある種の「研究」のためなら、見てもいいかも)。そしてアタシはもちろん、映画好きの友人たちと、リメイク版をとことんネタにして元を取るつもりでいるわ!