自己愛とハサミは……

 人との別れを「あれは何度やっても慣れるもんじゃない」と言ったのは、『おいしい関係』(槇村さとる作)の千代ばあだが、その言葉の本当の意味をかみ締めざるをえなかったこの数日間だった。いままで何人もの大切な人を見送ってきたが、「ひとりでいられない」と友人の家に厄介になったのは初めてだった。

 友人知人しか見られないようになっているミクシィの日記に思いの丈をぶちまけて、友人からの気遣いに甘え、ようやく、徐々に眠れるようになり、徐々に食べられるようになった。ただ、年を重ねれば重ねるほど、「亡き人に対して自分がいかに何もできなかったか」という悔しさは、悲しみのすぐ後にやってくる。14歳で母を亡くしたとき、あたしは、悲しみだけを味わいながら1年ほどを過ごした。自分では早熟なつもりでいたが、とんでもない。それはどこまでも子どもらしい悼み方だったのだ。

 日曜日、ある友人が電話で言った。「いま、外に出られないんでしょ。メールとミクシィくらいしかチェックできないのなら、アンタに見てほしいものがある」

 友人が教えてくれたのは、ミクシィの「レビュー」のコーナーにある、アタシの2冊の本、『こんなオトコの子の落としかた、アナタ知らなかったでしょ』と『愛は毒か 毒が愛か』のレビューページだった。『こんなオトコの子の〜』のレビューページは2年以上見ていなかったが、いまでは38人もの方が温かいレビューを寄せてくださっていた。そして、出たばかりの『愛は毒か 毒が愛か』にも、すでにおひとりの方が……。

 自分がひとつひとつのエッセイに込めた思いを、笑いとともにここまで深く受け取ってくださった方がいる嬉しさに、あたしは泣いた。おひとりおひとりのレビューを拝読しながら、ずっと泣き続けた。それは、この数日ずっと流してきた、悲しみの涙とも悔しさの涙とも自分に対する怒りの涙とも、まったく違っていた。

 あたしは普段、自己愛を舐め回すように味わうことに、むしろ軽蔑を感じてきた。加えて、実はその行為に誰よりもやすやすと溺れそうな自分自身を戒める程度の注意力も持っているつもりだった。それなのに、あたしはいま、皆さんがくださったご厚情を濫用してまで、自己愛の回復を図っている。それを「卑しい」と呼ぶのは、もっと丈夫になってからにしよう。少なくともいまは、「アタシが書くもので、ひとりでもふたりでも、何かを受け取ってくださる方がいるのなら、書いていかなくちゃ」という気に、久しぶりになれたのだから。

 今回の別れを書けるようになるのは、まだまだ先になると思う。でも、曲がりなりにも、再び「高山真」としてものを書くことができた。本当に、読んでくださった方々、さまざまな形のご厚情をくださった方々のおかげだと思っています。心から御礼申し上げます。ありがとうございました。