日中伊の饗宴

中華風ラビオリ

 一応、和洋中だいたいの家庭料理は作れるあたくしですが、苦手なメニューも当然ございます。それは「ある程度の熟達したテクニックで、同じ作業をずっと続けて“数”を作っていくもの」。その筆頭格が、餃子です。

 1冊目の本に少し書きましたが、高校時代まで実家では主婦業をやっていたり、東京に出てきてからもお友達と一緒にご飯を作ったり、回数は極めて少ないながらもオトコのために料理を作ってやったり、と、台所に立った回数はけっこうあったはずなのですが、餃子を作ったのは高校時代のたったの1回だけ。その1回さえ、3個包むのに5枚の皮を破ってしまったところで挫折してしまい、ボウルいっぱいに残されたタネを丸めてつくねにし、タネの具材に使った干し椎茸を戻すときに出た御汁をベースに、春雨とチンゲンサイと缶詰のホタテを投入して、中華風の肉団子スープにしてしまったことが思い出されます。あの波型の縁取りを作るのがあんなに難しいなんて……。どうやらあれにもコツというものはあるらしいのですが、もともと細かい作業自体が性格的に苦手なうえ、精神の小器用さが指先の器用さをすべて吸い取ってしまったらしい難儀な心身バランスだったあたくしは、「コツを学ぶのではなく、『もう作らない』という選択肢もあることを学びましょう」と早々に断を下してしまったのです。ええ、こういった性格がすべての元凶ということは自分でよくわかっておりますので、いまさら他人様から突っ込まれても蚊に刺されたほども感じませんことよ。

 さて、本日の夜あたくしは、ある友人の誕生日パーティーに出席しておりました。「俺、誕生日パーティーなんてやってもらうの、32年の人生で初めて。プレゼントなんていらない。来てくれるだけで最高」と、数日前に涙ながらに語っていた可愛い子(ノンケ)なのですが、開始時刻よりかなり早く会場のゲイバーに顔を出すと、そこのママ&チーママが一心不乱に何かを作っています。餃子でした……。

「姐さん早いわね。でも『開始は夜10時から』ってメールしたはずだけど。あと1時間半もあるわよ」
「ええ。一つ前の約束が早く終わったから、ちょっと顔を出してみただけ」
「じゃあ、せっかく来たんだから、●●のために餃子作ってみない?」
「でもあたくし、餃子って作ったことないのよ」
「だったら余計いいじゃない。『あの姐さんが●●のために餃子を作った』なんて、すごいプレゼントになるわよ。ほかの子たちにとってもニュースだし」
「そうねえ……。●●の『来てくれるだけでいい』なんて言葉に甘えてあたくしったら手ぶらだから、トライしてみようかしら」

 と、手を念入りに洗ってチーママの横に座り、皮を1枚手にするあたくし。真ん中にタネを乗せ、皮の縁の半周分だけに水をつけ、二つ折りにして、縁に沿って波型を作り……作り…………作れません…………………。

 ゆうに3分以上をかけて出来上がった餃子は、精いっぱい好意的に見れば波型に見えないこともない皮のうねりの合間からタネがもれなく顔をのぞかせ、波型を作ろうとして皮を引き伸ばしたせいで3箇所ほど千切れてしまった部分を無理やりまとめてねじりあげ、そのあおりをくってタネを包む部分さえすでに裂け目ができている状態。食べ物というより、何か前衛的なオブジェのよう……。あたくしったら手にした餃子をそのまま壁に叩きつけてしまおうかと思ったほどです。食べ物を粗末にするな、と、あれほどしつけられてきたのに……。

 見かねたチーママが、あたくしの前で皮を1枚手に取り、綺麗に波型を作ってお手本を見せてくれたのですが、どこがどういけないのでしょう、同じく3分かけて出来上がったあたくしの2個目の餃子は、最初に作ったものと寸分違わず同じもの。あたくし今度は床に叩きつけそうになる始末です。

 しかし、あたくしは、高校時代よりは格段に進歩しておりました。新しい「学び」に至ったのです。それは、こんな啓示でした。

「餃子の縁に波型が必要なんて、誰が決めたの?」

 中国四千年の歴史が決めたとて、日本人のあたくしが同じことをする必要はないわけです。あたくしは3枚目の皮を手に取り、タネを中央に乗せ、皮の縁の全周に水をつけ、二つ折りにして、隙間なくぴっちりくっつけました。そして、指先にあらん限りの力を込めて縁を「つねり」にかかったのです。

 素敵素敵素敵! 3つ目の餃子は、中味が顔をのぞかせることも、皮のどこかが破れることもなく、ちゃんと食べ物に見えるのです! ただ、何か不思議。確かに食べ物には見えるのですが、どう見ても餃子ではありません。むしろそれはラビオリにそっくり、というかラビオリそのもの……。

 で、20分ほどかけてようやく10個の中華風ラビオリを作り上げたあたくしは、そこでまた挫折。今度は「できない」ことに挫折したのではなく、「同じことをずっと続けて“数”を作る」ことに挫折したのです。ずっと指先にありえないほど力を込めていたせで、右手が軽く震えてきたのもあるのですけれど。ええ、劇的に学んだあたくしではありますが、「これからも、作らない」という選択肢が変わることはありませんでしたわ……。

 まあ、生まれて初めてちゃんと作った「餃子兼ラビオリ」も、主役に喜んでもらったうえ、出席者の間で予想通りのセンセーションを巻き起こしたから、よしとしましょう。

 世の中のすべての「餃子を包む人たち」に、あたくしはこれからも限りない尊敬を寄せることにいたしますわ……。