お久しぶりでございます

 10日ほど前にガッツリお腹を開ける手術をいたしました。とりあえず、手術自体は無事に終了しました。
 今回の手術が腫瘍にどれだけ効果的なものだったのか、それがはっきりわかるのはもう少し後のことですが、いまはとにかく無事に終わったことを喜んでおきましょう。

 退院後は、仕事のことだけでなく、プライベート面でもやりたいことができましたわ(というか、退院後のことを前向きに考えられる状況なのが何よりうれしいわね)。お買い物を楽しむのはまだまだ先の話でしょうが、私の体におしゃれめなステッチが入りましたので、それに合わせて、レザーのステッチを効かせたセーターでも買おうかしらと目論んでおります。エルメスのメンズにちょっと素敵なのがあったはず…。うふふ。

しばらく集英社新書さんに甘えます…

 はあ…1月分のブログが消えてしまいました。いえ、「消えてしまいました」みたいな責任転嫁はよくありません。いまだにブログの加筆修正の仕方がよくわかっていない私が、何かしらやらかしてしまったんだと思います。年齢的に「デジタルに超弱い」ことが改善されるとは思いませんが、それを言い訳にしてはいけません。この種のやらかし、いったいこれで何回目でしょう…。

 そんな落ち込みを集英社の担当さんにお話ししたら「じゃあ『ブログに書こうかな』とお思いになった分も、ウチに送ってくだされば、責任もって保存しますし、ウチのサイトでよければちゃんとアップしますよ」とおっしゃってくださって。ありがたい…。こうやってアナログな人間を保護してくれる人もいらっしゃる。まだまだ世の中捨てたものではありません。

 今後しばらく、「このブログにアップしようかな」と思ったものも含め、集英社新書のサイトで引き取っていただくことにしました。明日、新しいものがアップされると思いますが、更新情報などは集英社新書ツイッターのアカウントでご確認いただけると思います。
https://twitter.com/shueishashinsho
 たぶん、ツイッターのアカウントを持っていない方でも、パソコンならチェックできるんじゃないかと…。って、私ったら2018年にもなって、そんなことさえ分かっていないんですよ…。本当にごめんなさい…。そんな私はありますが、これからもよろしくお願いいたします。

今年最後のブログです

 推定6人(ちょっとうぬぼれて増やしてみました)の読者の皆様、今年も本当にありがとうございました。今年は春に体調を大きく崩し、遺言状がわりにフィギュアスケートのことを書き始め、その数か月後に『羽生結弦は助走をしない』という本の発売が決まり、秋あたりから体調も上向き、冬にはビックリするほど良好な数値になり…と、自分でも不思議な流れの中にいたような感じがします。

 私はかかりつけのお医者さんを全面的に信頼していますし、「医師でもない自分が、医学的に根拠のないことを言うのは絶対にダメ」と決めていますが、「やはり好きなことをしている時間は、体のためにもよかったのかな」と、しみじみこの1年を振り返っています。

 フィギュアスケートのエッセイを通じて高山真という存在を知ってくださった方からのメールも、本当に嬉しく拝読いたしました。「みなさん、本当にお優しい方々ばかり」と思うのは、今までにメールをくださった方、ひとりの漏れもなく全員、私の体調のことを気遣ってくださったこと。「ご体調を考えたらメールを差し上げるのもご迷惑かと思いますが」といったことを書き添えてくださった方々ばかりなのです。

 これだけは断言しますが「迷惑」だなんて、とんでもありません。「医学的に根拠のないこと」と言われてしまったらその通りかもしれませんが、体調が劇的に上向いてきた要因のひとつは、「メールを読ませていただいて、暖かく幸せな気持ちになったこと」だと確信しています。厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 本は1月17日に発売になりますが、年末年始は、集英社にお勤めの方々も、印刷所にお勤めの方々もお休みをとる期間。ですので、原稿そのものは11月中にはほとんど仕上げていなくてはいけない状態でした。今回のフィギュアスケート全日本選手権、および代表選考の結果を待っていては、本を平昌オリンピックに間に合う形で出すことはできなかったのです。また、「なるべくお手頃な価格で皆様にお手に取っていただきたい」という思いから、「250ページほど」とページ数の上限を決めていたため、取捨選択せざるをえなかったこともあります。以前サイゾーpremiumさんで書きましたが、私はフィギュアスケートのことをとことん語り始めたら3〜4日は平気でかかってしまうほど「ウザ長い」タイプなのです…。

 ですので、本には書けなかった全日本選手権の感想を皮切りに、集英社新書のサイトで、短期集中連載の形でフィギュアスケートのことを書かせていただくことにしました。

集英社新書のサイト
http://shinsho.shueisha.co.jp/
告知は、集英社新書ツイッターアカウントから発信されるかと思います
https://twitter.com/Shueishashinsho

 第1回は明日、12月27日。第2回目は年明け、1月10日あたりを予定しています。よかったらご一読ください。

 12月17日に発売された文芸誌『小説すばる』1月号でも、期間限定の連載エッセイ「泣けるケーキ」が掲載されています。この『小説すばる』の担当編集さんが、新書の編集部をご紹介くださったのですから、縁や流れは本当にありがたいもの、とさらにしみじみしてみたり。久しぶりに「彼」との思い出にじっくり向き合ってみました。

 そういえば、フィギュアスケートのエッセイから私を知ってくださった方から「ずっと男性だと思っていました。ごめんなさい」というメールを頂戴したこともありました。いえいえ、私は男性で、LGBTのGにあたるゲイです。たぶんこのブログの12月9日のエントリー(『羽生結弦は助走をしない』という新しい本が出ます)をお読みくださってのお便りなのでしょう。「私」という一人称の人間に「彼」という恋人がいた、という表記ですものね。

 その方にもお返事いたしましたが、私にとってそれは嬉しいメールでした。私は、「ゲイとして生きてきた」中で見えてきた自分なりのセンスであるとか、恋愛や人生に対する自分なりのスタンスであるとか、そういったことを書くことでエッセイストとしてのキャリアをスタートさせた人間です。そうした自分のキャリアのプロセスを誇りに思っていますし、そうした「誇り」はずっと持っていたい。

 でも、持っていい「誇り」は、別にひとつでなくてもいいですよね。性別やセクシュアリティに関係なく、純粋に文章そのものを評価してくださる読者の方が、私にメールを送ってくださった。そんな新しい「誇り」を自分の中に加えることができた。今年はそんな嬉しい年でもあったのです。メールをくださった方にもお礼の返信をいたしましたが、改めてここでも御礼申し上げます。ありがとうございました。

 さて、私は久しぶりに近場の温泉にでも行こうかと。今年の春あたりは、旅行を計画する自分を想像することすら難しかった。かかりつけのお医者さんと、読者の皆様方のおかげです。どんなに感謝しても、足りません。本当にありがとうございました。

 皆様、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

あああ嬉しい…

 金曜日にかかりつけの病院へ。前週におこなった各種検査の結果が、ビックリしてしまうほど上向いていました。嬉しい…。もちろん油断などする気はありませんが、やはり嬉しいものは嬉しい。

 こんな感じで日々が続いていくのなら、ガラスの仮面月影千草先生とタメを張るくらい「ここからが長い」タイプになれるはず。なんだかんだで、私ももう2年半、うまいこと渡り合っているんですものね。そんなことを「ギャグ」ではなく、かなり「現実的」に考えられるようにもなりました。そんなホクホクした週末を過ごしています。

 明日の17日は、脚本家の山本むつみさんが手がけられた『ヘヤチョウ』というドラマが放映される日(テレビ朝日系21時〜)。山本さんが、このブログの『羽生結弦は助走をしない』の出版が決まったエントリーをお読みくださり、お祝いのメールをいただく中で教えてくださったの。明日はナマで見ちゃおうかしら。楽しみ…。

拙著『羽生結弦は助走をしない』にまつわる事柄

 サイゾーpremiumさんで連載しているエッセイをきっかけに、スケートファンの方からもいくつかメールを頂戴するようになりました。

 17年前にエッセイストの仕事をするようになってから、読者の方からいただいたメールには、「おひとりにつき、一度は必ずお返事したい」と思って、自分なりに守ってきたつもりです。

 私も仕事を離れれば、ひとりの読書好き。一読者として、好きな作家はもちろんたくさんいます。でも、その作家に手紙やメールを送ったことはありません。だって、それってものすごく勇気がいることですから…。私のメールボックスに届いているメールは、ですから、「私には出せない種類の勇気」が詰まっているメールなわけです。私レベルの書き手がそうそう無下にできるはずがありません。ひとつひとつ、ありがたく拝読しています。本当にありがとうございます。
 仕事のスケジュールや体調によって時間がかかってしまうこともありますし、もしかしたら今後、お約束を守れなくなる日も来るかもしれない。でも、「お返事する気持ち」だけは枯れずに持っていることはご理解いただけたらと思います。

 先日、エッセイをお読みくださった方の中に、「羽生結弦が平昌で素晴らしいパフォーマンスを披露することを露ほども疑っていません」という文章に共感した、というご意見をくださった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。

 そうなんですよ。私、露ほども疑っていないんですよ。

 何度も書いておりますが、私はフィギュアスケートが大好きで、すべての選手をリスペクトしています。そして、羽生結弦は「超」がつくほど好きなスケーターのひとりです。というか、もっと正確に言えば、「羽生結弦のことは、『好き』以上に『絶対的に信頼している選手のひとり』と言うべきかも」という感じなのです。

 私よりもはるかに、フィギュアスケートという競技と羽生結弦という選手を、深く愛し、深く理解している多くの方々には言わずもがなのことですが、羽生結弦がこれまでに越えてきた高いハードル、打ち破ってきた分厚い壁は、正直、私の理解を超えたところにあるのです。昨シーズンだけでも、左足のケガ、全日本選手権時のインフルエンザのダブルパンチ。そんな状態で過ごしていたシーズンの世界選手権のフリーで、羽生結弦は、ちょっとこの世のものとも思えないほどのクオリティのものを見せてくれたわけです。サイゾーpremiumさんのエッセイでも書きましたが、「あ、今夜はもう眠れないこと決定」と思ってしまうほどに。

 好きなスポーツに打ち込んでいる選手のことをついつい心配してしまう私の性格、これはもう恥ずかしながら治しようがありません。でも、こちらの心配や予想をはるかに超える強さと美しさで、ハードルを越え、壁を打ち破ってきた姿を、毎シーズンのように見せてもらっている。シーズンごとに、「感激・感動」とか「圧倒されるばかりの心地」を、私は受け取っているわけですね。しかも、ものすごい量。これは揺るぐことのない「事実」です。

 その揺るがなさは、私の中ですでに「確かな実績」になっているのです。だから、「絶対的に信頼している」という立ち位置も、揺るぐことがない…。あのエッセイをもっと正確に言葉にすれば、こんな感じになるでしょうか。って、一度発表したエッセイを「もっと正確に言葉にすれば、こうなる」なんて補足すること自体、物書きとしてはダメダメですけれど…。とほほ…。

羽生結弦が自分で決めて自分で選んでいる道に、間違いがあるはずがない」という事実を、私はもう何年も見せてもらっています。だから、「露ほども疑っていない」のです。この気持ちに共感してくださった方からのメールを、私は本当に嬉しく拝読しました。ありがとうございます。

 羽生結弦だけでなく、すべての選手が、ケアするべき箇所はしっかりケアしたうえで、平昌で「この演技が、自分がずっと賭けてきたものの集大成だ」というパフォーマンスができることをただただ祈るばかりです。私は、まず間違いなく今度も「自分の想像を超えたところにある、何か」を見せてもらえるはず。羽生をはじめすべての選手から、「想像を超えた何か」を受け取り、「自分だけに与えられているように感じるほどの、何か」を心に抱くことができるはず。そのことを露ほども疑ってはいません。

 だって、すでにもう何年も、見せ続けてもらっているし、受け取り続けているのですから…。
 今度出す本でも、そのことが伝われば…。私にとってはそれ以上の幸せはありません。

サイゾー『羽生結弦の「戻ってくる世界」を考えてみた』加筆

 12月9日のエントリー(『羽生結弦は助走をしない』という新しい本が出ます)の中で、サイゾーさんのエッセイのアップ日を間違ってお知らせしてしまい、申し訳ありませんでした。

 サイゾーさんに原稿を送ったのが土曜日。この時点で担当さんに思いっきりイレギュラーな時間帯にお仕事をさせてしまっているわけでして、本当にさまざまなところにご迷惑をおかけしているなあ、と……。反省しきりです。

羽生結弦が足の痛みがひかず、まだ氷の上での練習ができていない」というニュースを目にしたのが日曜日。ですから、サイゾーさんのエッセイにはこの情報が反映されていません。このことについての私なりの思いを、追記のような形でこのブログで少々書かせていただけたらと思います。

 私はサイゾーさんの過去のエッセイで、「羽生も宇野も、自分を追い詰めすぎるくらいに追い詰める性格で、私の胸には痛いくらい」と書いたことがあります。今でもその気持ちは変わっていません。

 だから、語弊のある表現かもしれませんが、羽生が「治療を優先させている」ことに、ちょっとホッとしたくらいです。「痛みをおして氷の上での練習を再開している」というニュースを目にしたら、もっともっと心穏やかではいられなかったでしょう。

 サイゾーさんのエッセイに書きましたが、私は、羽生結弦が平昌で素晴らしいパフォーマンスを披露することを露ほども疑っていません。それは誰よりも羽生自身が強く望んでいることでしょう。

「部外者の私が僭越なことを言っている」という自覚は深々とありますが、羽生自身の強い思いを実現するためならば、全日本をスキップすることも視野に入れてほしいなあと考えています。

 大会に優先順位をつけること……。これも、部外者の私がしてはいけないことだと承知していますが、オリンピックを最優先に考えてほしい。一介のスケートファンのわがままだと知っていますが、羽生結弦が(そして、出場する全選手が)オリンピックでもっとも大きく、強く、美しく輝けますように。そう祈ってやみません。

 私としては、いま、羽生結弦自身が、ポジティブな気持ちで日々を送ってくれていることを望むのみです。

『羽生結弦は助走をしない』という新しい本が出ます

 ずいぶんご無沙汰してしまって申し訳ありません。実はずっと新しい本の執筆に取り組んでいました。
 1月17日に、集英社さんから『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』というタイトルの新書を出すことになりました。

 私が初めて「仕事」としてフィギュアスケートのことを書き始めたのは2016年3月。サイゾーpremiumさんでの連載がきっかけでした。このブログでは「フィギュアマニア歴〇〇年」というタイトルで、何度かフィギュアスケートのことを書いていることは、推定5人の読者のみなさんはご存知かもしれません。ま、「ずっと読み続けてくださっている読者の方」にまで範囲を狭めると、推定2人くらいだと予想していますが。うふふ。

「あまりに好きすぎるものは、仕事にしないほうがいい」というテーゼを、私はわりと長いこと信じてきました。ですから「サイゾーpremiumさんでポツポツ書いていければいいかな」くらいの気持ちでいたのですが、それを変えてくれたのは友人の言葉です。

 体調が上向いてきた今だから言えますが、春から夏にかけて、「今のうちに遺言状を書いといたほうがいいかも」とまあまあ覚悟をするような状態でした。それを友人に言いましたら、
「遺言状より先に、書くべきものがあるはずでしょ。私は、アンタのフィギュアスケートのエッセイかなり好きよ。ああいう視点で書いてるの、いかにもアンタらしくて。まずは書き溜めることから始めてみたら? それがこの先、日の目を見るかどうかより、書いていくうちにもしかしたら、体調面でも仕事面でも新しい扉が開くかもしれないでしょ。そちらのほうに期待をしたいわ」
 と発破をかけられたのです。私も私で、
「ま、確かにそれも一理あるわ。書くことはベッドの上でもできるし。それで結局『遺言状がわりの文章がフィギュア関連のことで埋め尽くされている』なんてことになったんだったら、逆におしゃれよね」
 と、前向きな気持ちを取り戻したのです。どこに売り込みをすると決めたわけでもなく執筆を続けていく中で、手術もわりとうまくいき、体調も上向いてきたのですから、不思議なものです。

 私は、集英社の『小説すばる』という文芸誌で期間限定のエッセイの連載も持っているのですが、『小説すばる』の担当編集の方と、電話やメールではなく久しぶりにお目にかかっての打ち合わせを、秋の終わりにしました。そのときの軽いおしゃべりの中で、フィギュアスケートのことをあれこれ話していましたら、
フィギュアスケートのこと、1冊の本にまとめられませんか? 私は文芸の編集なので難しいんですけど、社内の別の部署の人間に話を通したい」
 と言ってくださって。

 そんな素敵なお申し出をいただいたのに、私ったらワガママをひとつ言いました。
「出版される・されないは、私の文章力や構成力、ものの見方が深いか浅いかといった、私の『能力』の問題なので、出版されないことになってもなんの文句もありません。でも、もし出していただけることになりそうなら、可能な限りお手頃な価格で読者の方にお手に取っていただけるようにしたい。そういう部署の方とつながりはありますか?」

 フィギュアスケートのファンの方々は、チケットをとり、試合会場やイベント会場がご自宅から遠い場所であれば交通費やホテル代まで考えなくてはいけません。私も体がしっかり動いていたころは、「どうやってやりくりしようかしら」とよく考えていました。私の場合はファッションヴィクティムでもあったので服飾代もかさんでいたし、病気のお母様の面倒を見ながら昼も夜もなく働いていた恋人が生きていた頃、そして彼が先に亡くなりやがって病気のお母様が残されてしまった後は、お母様の医療費のバックアップを自分なりにしていた時代もありました。なので、「どんな状況であっても、フィギュアスケートを観に行きたい!」という気持ちを経済面でも叶えるのは大変だ、ということは知っています。
「フィギュア好きの方々にもお読みいただけるものにしたいのならば、やはりなるべく価格は抑えたい」
 というのは、生意気ながら譲れないラインだったのです。『小説すばる』の担当さんは私の気持ちをくんでくださり、新書の編集部の方をご紹介くださいました。そして新書の担当さんからゴーサインが出て、さらに気合を入れてパソコンに向かい、原稿用紙で280枚ほどの原稿を書き、こういう運びになったわけです。

 遺言状のつもりで書いていた文章が、数か月後、1冊の本の中に入る。ご縁や流れというものは本当に不思議です。

 サイゾーpremiumさんで書いていたエッセイのいくつかも、加筆・再構成をして入れています。ものすごく生臭いことを言ってしまえば、サイゾーpremiumさんには1円も入らない案件なのに、サイゾーpremiumの担当編集の方も手放しで喜んでくださって。集英社さんとサイゾーさんの間で面倒くさい話し合いは一切ナシ。つくづく、いい方ばかりに恵まれている幸せを実感しています。そんな太っ腹な姿勢を見せてくださったサイゾーpremiumさんで、まだまだフィギュアスケートのエッセイを続けさせていただきたいな、と新たな欲も生まれています。

 まだすべての作業が終わったわけではないのですが、かなり形としてはまとまってきました。
羽生結弦の演技のツボ」という観点で、2010年の世界ジュニア選手権フリーの『パガニーニ』から、今シーズンの『ショパン バラード第1番』&『SEIMEI』まで、私が目を引かれた演技の「ツボ」を、箇条書き形式を織り交ぜて書いているのですが、その部分だけで100ページほどあります。目次やまえがき・あとがきまで含めて全250ページほどの本のうち、100ページ。読み返してみて、あまりの分量に自分で笑ってしまいました。
「オタクとは空気も流れも読まないもの」と、一介のフィギュアスケートオタクの私は常々言っていますが、それを自ら証明するかのような…。でもまあ、「羽生結弦のすごさ」ですとか「羽生結弦がシーズンごとにどのように飛躍的な成長を遂げていったか」を私なりに書くために、必要な分量であったことは、ご理解いただけたらなあと思います。
サイゾーさんに12月11日にアップされる予定の「羽生結弦の『戻ってくる世界』を考えてみた」というエッセイで書いた、オータムクラシックのショートプログラムの「ツボ」の完全版も当然ですが入っています。「長い・ウザい」と言われることは百も承知でございます・笑)

★申し訳ありません。エッセイのアップ、「12月10日」だと書いていましたが、担当さんからのメールを再読したら「12月11日」でした。お詫びして訂正いたします。

 さて、体力の問題もありますので、今日のブログはここまでで…。また数日後、続きをアップできればと思います。