拙著『羽生結弦は助走をしない』にまつわる事柄

 サイゾーpremiumさんで連載しているエッセイをきっかけに、スケートファンの方からもいくつかメールを頂戴するようになりました。

 17年前にエッセイストの仕事をするようになってから、読者の方からいただいたメールには、「おひとりにつき、一度は必ずお返事したい」と思って、自分なりに守ってきたつもりです。

 私も仕事を離れれば、ひとりの読書好き。一読者として、好きな作家はもちろんたくさんいます。でも、その作家に手紙やメールを送ったことはありません。だって、それってものすごく勇気がいることですから…。私のメールボックスに届いているメールは、ですから、「私には出せない種類の勇気」が詰まっているメールなわけです。私レベルの書き手がそうそう無下にできるはずがありません。ひとつひとつ、ありがたく拝読しています。本当にありがとうございます。
 仕事のスケジュールや体調によって時間がかかってしまうこともありますし、もしかしたら今後、お約束を守れなくなる日も来るかもしれない。でも、「お返事する気持ち」だけは枯れずに持っていることはご理解いただけたらと思います。

 先日、エッセイをお読みくださった方の中に、「羽生結弦が平昌で素晴らしいパフォーマンスを披露することを露ほども疑っていません」という文章に共感した、というご意見をくださった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。

 そうなんですよ。私、露ほども疑っていないんですよ。

 何度も書いておりますが、私はフィギュアスケートが大好きで、すべての選手をリスペクトしています。そして、羽生結弦は「超」がつくほど好きなスケーターのひとりです。というか、もっと正確に言えば、「羽生結弦のことは、『好き』以上に『絶対的に信頼している選手のひとり』と言うべきかも」という感じなのです。

 私よりもはるかに、フィギュアスケートという競技と羽生結弦という選手を、深く愛し、深く理解している多くの方々には言わずもがなのことですが、羽生結弦がこれまでに越えてきた高いハードル、打ち破ってきた分厚い壁は、正直、私の理解を超えたところにあるのです。昨シーズンだけでも、左足のケガ、全日本選手権時のインフルエンザのダブルパンチ。そんな状態で過ごしていたシーズンの世界選手権のフリーで、羽生結弦は、ちょっとこの世のものとも思えないほどのクオリティのものを見せてくれたわけです。サイゾーpremiumさんのエッセイでも書きましたが、「あ、今夜はもう眠れないこと決定」と思ってしまうほどに。

 好きなスポーツに打ち込んでいる選手のことをついつい心配してしまう私の性格、これはもう恥ずかしながら治しようがありません。でも、こちらの心配や予想をはるかに超える強さと美しさで、ハードルを越え、壁を打ち破ってきた姿を、毎シーズンのように見せてもらっている。シーズンごとに、「感激・感動」とか「圧倒されるばかりの心地」を、私は受け取っているわけですね。しかも、ものすごい量。これは揺るぐことのない「事実」です。

 その揺るがなさは、私の中ですでに「確かな実績」になっているのです。だから、「絶対的に信頼している」という立ち位置も、揺るぐことがない…。あのエッセイをもっと正確に言葉にすれば、こんな感じになるでしょうか。って、一度発表したエッセイを「もっと正確に言葉にすれば、こうなる」なんて補足すること自体、物書きとしてはダメダメですけれど…。とほほ…。

羽生結弦が自分で決めて自分で選んでいる道に、間違いがあるはずがない」という事実を、私はもう何年も見せてもらっています。だから、「露ほども疑っていない」のです。この気持ちに共感してくださった方からのメールを、私は本当に嬉しく拝読しました。ありがとうございます。

 羽生結弦だけでなく、すべての選手が、ケアするべき箇所はしっかりケアしたうえで、平昌で「この演技が、自分がずっと賭けてきたものの集大成だ」というパフォーマンスができることをただただ祈るばかりです。私は、まず間違いなく今度も「自分の想像を超えたところにある、何か」を見せてもらえるはず。羽生をはじめすべての選手から、「想像を超えた何か」を受け取り、「自分だけに与えられているように感じるほどの、何か」を心に抱くことができるはず。そのことを露ほども疑ってはいません。

 だって、すでにもう何年も、見せ続けてもらっているし、受け取り続けているのですから…。
 今度出す本でも、そのことが伝われば…。私にとってはそれ以上の幸せはありません。