肝臓がんを得て、より明確になったこと

がんのことを公表し、このブログでもその病気をベースにした日々のことを書くようになってから、できている場所は違えど同じ病を持つ方、またはお身内に同じ病を持つ方からのメールを頂戴するようになりました。
いただいたメールにはすべて、自分なりに考えていること、病への私なりの向き合い方をお返事したつもりではあります。が、先日いただいた、奥さまのサポートをなさっている方(Aさんとさせてください)からのメールに、化学反応のようなものが自分の中で起こりまして、最近ではいちばん長いお返事を書きました。
Aさんは、私に下さったメールに「お金を出すこと、簡単な家事、笑わせることくらいしかできない自分が歯がゆい」とお書きになっていました。同時に、「この病気に対して『ふてぶてしい』というスタンスで臨んでいることに、勇気づけられた」というご感想もくださいました。
そのメールを拝読したとき、なんと言いますか、自分の中でもう一度、自分の考えをクリアにしておきたい気持ちになり、クリアにした気持ちを、このブログの推定読者6人の皆様方にもお伝えしておきたい衝動にかられまして。

以下は、本来は私信である「私からAさんへのお返事」ですが、Aさんのご了承のもとに公開いたします。Aさんにまつわる個人情報はすべて削除して、少し加筆・修正しています。

その前に大切なことをひとつ。これを公開したからといって、「もうこういう分野のメールの返信はしない」という意図は微塵もありませんからね。「メールを下った方、おひとりにつき一通は必ずお返事したい」という気持ちは全く変わっていません。「If you need me, call me」って感じかしら(ダイアナ・ロス『Ain't No Mountain High Enough』)。やだ綺麗!

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はじめまして。高山真でございます。
いただいたメール、身を正して拝読いたしました。ありがとうございます。
まずは何より、奥さまのご快癒を心よりお祈り申し上げます。


私も現在、肝臓がんの治療中ですが、過去には、母親、パートナー、パートナーの母親の、闘病や旅立ちを横で見ていた身です。「横で見ていた」と言うと、「木偶の坊もここに極まれり」という感じですが、実際、健康だった時代に病気の人が身近にいると、他人様にはどんなに身なり心なりを砕いているように見えたとしても、本人としては「何もできていないなあ」という気持ちばかりになりますね。実の母が亡くなったときは私は14歳でしたので、「何もできていない」というのは正しい認識だろうとは思いますが。


ただ、それなりに大人になってからの経験だった、彼との時間、彼の母親との時間を振り返ってみても、私はいまだに、「彼と、彼女に、自分がしたこと・できたこと」に対して、友人たちがつけてくれたような点数を自分自身につけることにためらいがあります。


僭越ながら、私は、Aさまも、その点において私と同じ世界の住人であると拝察いたしております。


率直に申しまして、私は、自分が病気をしている現在のほうが、あの時代にくらべてはるかに焦点の合った日々を送っています。この種の仮定は非礼極まりないことをお詫びしたうえで申しますが、Aさまは、奥さまではなくむしろご自身が病を得ている状態のほうが、はるかに落ち着いて日々を送れるタイプなのでは、と。


このようなメールを頂戴し、私も自分なりに踏み込んだお返事を差し上げる以上、私とAさまの間には、友情に近い感情の交流がすでにあると、私は勝手に判断しています。ですので、私は、私の友人が私に言ってくれた言葉を、今度はAさまに、心からの言葉としてお伝えいたしたく存じます。(そしてここからは、友情の名の下に、敬称を「さん」に変えること、そして、くだけた口調になることをご了承ください)



あなたは、完璧です。
お金と、日々の雑務のヘルプと、笑わせること。
病気の人を安心させるために、周りの人がしなくてはいけないことを、あなたはすべてやっているでしょう。
あなたが「自分が歯がゆい」と思うのは、それはあなたの性格だから仕方がないことだけれど、
どこをどのように判断しても、私にAさん以上のことができるとは思わない。
何度でも言います。あなたは完璧です。


私も、かつて友人たちがかけてくれた言葉を額面通りには受け取れなかった(そして今でもその傾向は残っている)ものですから、「Aさん、あなたはこの言葉にうなずかなきゃダメ!」とは申しません。ただ、近い将来、奥さまがご健康を取り戻し、そして遠い将来にAさんが奥さまのお世話を受ける立場になったとき、今度はAさんが同じような言葉を奥さまにおかけになるだろうと思います。


私も、しぶとくサバイブして、今度は自分が周囲の人たちに、かつて私が受けとった言葉や思いを渡していくことを目論んでいます。ブログを通じて、あるいは今、Aさんに、もしかしたら何かをお渡しできたかもしれないように。


「自分がしていること・してきたこと」に高い点数をつけられないのは、もう性(さが)とか業のようなものなので、これをどうにかしようなどという気持ちはとうの昔に放棄しています。ただ、私が他者に高い点数をつけたとき、その人は、私が自分にそうしているように、自分自身に低い点数をつけている。まあ、点数をつけるなどという行為はもともと非常に親しい人間にしかしないものですし、親しい人と大なり小なり似た部分があるのも当然といえば当然ですが。高いんだが低いんだか分からなくなっているのに、想いが循環していることだけは確か、と言いますか。


Aさんも私も、ずっと階段を上り続けているのに1周回ったところでいちばん低い場所に戻ってくる、騙し絵の世界の住人みたいで、それはそれで面白いですね。


ただ、そういう人間として申し上げるなら…。身近な人たちとの間に生まれる、感情の円環構造のようなものを認知できることを、「幸せ」と呼ぶのかしら、と私は最近になってつくづく実感しています。


最近出した本にも少し書いたことですが、昭和40年代に、ドがつく田舎の漁師町に生まれたLGBTの私には、「クローゼットに一生隠れたまま、自分を偽って、誰とも何かを共有せずに生きていく」という人生も、非常にリアリティのある選択肢でした。そして、それを選択することは、「死が、一生続く」という人生を選択することと、ほぼ同義でした。


いま、こうしてクローゼットから出て、様々な人たちと感情の交流を持ち、40代の半ばになって病を得た身になり、そして、「騙し絵の世界に生きる者同士」が感じる幸せを実感できるようにもなりましたが、私の「選ばなかったもう一つの人生」は、病気以外のことを得られる可能性は最初からゼロでした。はじめから死んでいるようなものだったのです。それを思ったら、「病ごときがなんぼのもんか」なんてふてぶてしくもなりますわね(笑)。


生きていれば様々なことが起こりますが、「災難(のように見えるもの)」に、なんというか、スパイスとか触媒のようなものを振りかけ、違う角度なり視点なりから見ることで、新しい「何か」が得られるかもしれない…。私は常に、それを期待して生きてきたところがあります。


病を得た今、そういった強欲な部分が消えないどころか、どうも強まっているらしいことを、自分なりに歓迎しています。「これなら完治した後は、あたくしったらますますもって手がつけられないオンナ(正確にはゲイ)になっているはず」などと公言し、すでに一部の友人たちを震えあがらせていたり(笑)。


奥さまに、日々笑いを提供しようとなさっているAさんのお気持ちの尊さは、私のような人間には本当によくわかります。「エレガントな強欲」とか「ふてぶてしいほどに前向き」とか、矛盾する言葉を組み合わせて一体化させるようなスタンスでいこうと思ったら、そこに「触媒」としての「笑い」は必須だからです。


奥さまが、医者のケアとともに、Aさんが日々用意されている「触媒」で、お元気になられることを心よりお祈り申し上げます。


どうにもウザいご返信だったかもしれません。ただ、私もAさんからお気持ちや力を頂戴した身です。私なりのお返しとして、お許しをいただけたらと思います。


20年後、30年後あたりに、「そう言えば、メールのやり取りがありましたわね」と、奥さまを含め三人で、どこかで懐かしくお話ができますことを。


Aさんも、どうぞくれぐれもご自愛くださいませ。
お気持ち、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

高山真


(追記)
タイトル変更しました。ふだんは、どんな分野のことを書くのであれ、こんなド直球のタイトルはつけない人間なのですが、今回ばかりは、私の昔からの読者(推定6人)だけではなく、病気で悩んでいる人が検索などでここにいらしてくださること、その中の数%の方でいいので、何かを感じていただけることを、ちょっとだけ願って…。