メジャーになるのも痛しかゆしか

 全米オープンの、錦織圭とアンディ・マリーの準々決勝、そして錦織とワウリンカの準決勝の試合を、手に汗握って見ておりました。あたくし、純粋に観戦するだけのスポーツとしては、フィギュアスケート体操競技などの採点競技が大好きですが、「実際に自分でもやるスポーツ」としてはテニスの大ファン。15歳からテニススクールでコーチに教えてもらい、大学まではけっこう真剣にやっておりました。もちろん、大してうまくなりませんでしたし、社会人になってからは月に1〜2回、お友達と楽しむ程度のものではありましたが、スポーツの趣味としては唯一、長く続けていたものでした。体調を崩してからはずっと遠ざかってしまっているのに寂しい思いも感じています。

 錦織圭のテニスの強み、面白さは、とにかくクリエイティブであること。これに異論を挟む人はいないでしょう。ラリー中、相手が打った瞬間に、あるいは相手が打つほんの少し前にはもう、「ボールがどこに、どのように弾んでくるか」を、横方向だけでなく前後の位置まで判断して、ススッと1〜2メートル前に出て、ライジング気味にボールをとらえて相手を振り回していく。「テニス頭脳」と呼びたい知性、そして長い試合では4時間にもわたってその知性を持続して発揮する集中力…。1995年ごろにマルチナ・ヒンギスを初めて見たときの衝撃を、まさか日本人選手で味わえることになるとは!

 今回の準決勝では、ワウリンカの異常な体力にも瞠目せざるを得ませんでした。「ある程度の体脂肪って、スタミナ維持には必要なのよ、やっぱり」と友人に言いましたら、即座に「それにしたってアンタは貯め込みすぎよ」と言われてしまいましたが。

 さてさて、テニスが地上波で放送されなくなって久しいです。錦織圭の台頭とともに、「なぜ地上波で流れないのか」という声も多くなっているみたい、と、友人から聞いたことがありますが、昔を知っている人間にとっては、今くらいのバランスが心地よかったり。いま、民放にテニスのグランドスラムの放映権が戻ってしまったら、テニスなどに本来興味をもっていないようなスタッフが、テニスのことを知らないタレントをゲストに迎え、バラエティーのような作りにしてしまうかもしれない。そんな危機感すら持ってしまうあたくし。錦織のような「100年に一人」レベルの才能だからこそ、地上波のテレビ局がよってたかって群がるようなことはしてほしくない。そういう意味でも、錦織の基盤がアメリカにあるのはいいことです。

 その昔、民放がテニスのグランドスラムを中継していた頃、全豪は日本テレビ、全仏はテレビ東京、全米はTBSが放映権を持っていました(ウィンブルドンはNHK)。テレビ東京が中継していた全仏オープンだけは、実況の藤吉次郎アナの、テニスを知りぬいた名調子のおかげで、大変すばらしいものとなっていましたが、ほかの局はもう…。

 あれは1990年の全豪の女子シングルスの決勝だったと思いますが、テニスのグランドスラムの試合なのに、なぜかゲスト解説で呼ばれたのが元阪神掛布雅之で、その掛布がシュテフィ・グラフの胸のことに何度も言及していたことに強烈な嫌悪感を覚えたもの。そうそう、1991年の全米の男子シングルス決勝(エドバーグ対クーリエ)のゲスト解説は、なぜか長嶋茂雄でした…。さすがに長嶋は品性を疑うようなコメントはしなかったものの、見ている間ずっと「なぜ長嶋?」と思っていたものです…。

 ま、フィギュアスケートファンとしては、かつてあたくしが「なぜ掛布?」「なぜ長嶋?」と思っていたように、現在あたくし以上に熱を込めてスケートを見ている皆様方が、「なぜ修造?」と思っていらっしゃるのかもなあ…と。ま、「修造とフィギュア」に関しては、あたくし25年以上前、修造が現役選手だった頃に読んだテニス雑誌の記事で、ちょっとカチンとくる内容のものを読んでいますので、よけいに懐疑的になってしまうのですが…。メジャーになるのも善し悪しですわね…。