ALL AT ONCE

 ホイットニーが亡くなった報せは、同世代の友人からのメールで知ったの。自分でも意外なほどショックが大きくて、大学時代からの友人と、しばらく話し込んでしまったわ。

 東京からはるか離れた片田舎でくすぶっていた中学3年生のあたくしにも届いたほど、ホイットニーのデビューアルバムは衝撃的な大波だった。で、そこから25年あまり、去年の10月だったかしら、仕事で来日したアメリカ人の友人となぜかカラオケへと流れ、ホイットニーのデビューアルバム収録曲『Saving All My Love For You』を熱烈にリクエストされたとき、ついつい訊いてしまったものね、「日本人の中学生まで熱狂したんだもの、当時のアメリカの盛り上がりたるや、それはもう凄かったんでしょ?」と。

 話は変わるけれど、ほんの1週間前に行われた、マドンナのスーパーボウルのハーフタイムショーは素晴らしかった。潔いほど判りやすい口パクだったけれど、それはマドンナの場合、まったく問題ではないと思う。マドンナは、たぶんアメリカのショービズでいちばん歌が下手な歌手だし、マドンナよりいい曲を書く人も百人単位でいる思う。が、マドンナは、『VOGUE』のあたりからレディー・ガガが出てくるまでは、「アイコン」としては常にダントツの1位だったと思うの。音にせよファッションイメージにせよ、メッセージにせよ(強く逞しく、快楽を自分から手に入れていくことをためらわないオンナ、という表現ね)、世の中のいちばん尖った場所で生まれた「何か」が、その人が取り入れ世に出すことで、文字通り「ポピュラー」「ポップ」になっていく、その「装置」としてのアイコンね。

 アイコンであることを選んだ、というか、アイコンで「い続ける」ことを選んだマドンナが、ワークアウトと美容面で人知を超えた努力をしているのは、ひと目でわかる。アイコンとして認知されてしまった人は、ポピュラー製造機としての「装置」の機能や鮮度が低下したら、あるいはその人以上に「装置」の性能や鮮度が高い人が現れたら、あっという間に大衆に見限られてしまうことを、たぶんマドンナ本人がいちばんよく分かっているのでしょう。今回のハーフタイムショーはアイコンとしてのマドンナの底力はもちろん、「ガガ? 誰よそれ」と言わんばかりの意地を感じたわ。53歳のババア(もちろん褒め言葉)が見せた、スタイリッシュの極みのような意地……。素敵ね。

 マドンナが「アイコン」なら、ホイットニーは掛け値なしの「シンガー」「ディーバ」だった。ダイアナ・ロスのスウィートネスとアレサ・フランクリンのパワー、どちらも7割ほどは兼ね備えた、稀有な声をしていた。アイコンは「装置」としての鮮度や機能を落としてはいけないけれど、「シンガー」「ディーバ」は「声」が落ちてしまうと(それが怠惰や犯罪にからんだ享楽によるものであればあるほど)酷評を浴びるようになる。アイコンでい続けるにせよディーバでい続けるにせよ、どちらも孤独な自己鍛錬を必要とするものだと思うわ。その孤独の中には、たとえ愛している相手であっても、その相手が自分をスポイルするタイプだと分かったら、見限って(つまり、再び孤独を選び取って)自分の才能のために生きることも含まれる。その孤独を、マドンナのようにどこまでも引き受けてほしかった……と思うのは、ファンのわがままなのかもしれないけれど。

夫だったボビー・ブラウンに薬物を教えられたのがすべての間違いの始まりだった、としたり顔で言うことなんて、どこまでも簡単だわ。それに、「相手を切れない弱さ」「愛(と信じ込んでいるもの)に引きずられる弱さ」が、「声」「歌」に説得力を持たせていた、という考えにうなずいてしまう部分もある。こうした思いが、すでに考えても仕方ないことになってしまったことが何よりやるせないわ。

 ただ、何度も言うけれど、あの声は本当に衝撃的だった。1985年、日本のさびれた片田舎の中学生に、スパークルな世界があることを教えてくれた一人、ホイットニー・ヒューストンの冥福を祈ります。