tea and sympathy

お茶会……。なんて素敵な響き……。

掛け軸や活け花などのしつらいに目を癒され、一期一会で居合わせたお客様方との会話に耳を癒され、しみじみと染み渡るお茶の美味しさに心身ともに癒され……。本来隠居してもいい年のババアでありながら、生き馬の目を抜く現代を生きざるをえないあたくしにとりましては、お茶会は欠かすことのできない憩いの時間でございます。

ただ、このところの忙しさが祟り、あたくしは最近、ゆっくりお茶を楽しむ時間もございません。いまも、家に持ち帰った仕事の合間に、徒歩2分のチェーン店でアイスコーヒーを頼んでしまうという体たらく。自分でアイスコーヒーのグラスを持って2階にあがる最中に、もううら寂しさが込み上げてまいります。

殺風景極まりない2階に上がり、煙草が吸える席を探すあたくし。茶室全体を見回すと、空いていたスペースのひとつ、壁際から2つ目のテーブルの周りだけが、なぜか「殺風景」ではなく「殺気立っている」空気感です……。

謎はすぐに解けました。壁際のテーブルに座っているのは男女のカップル。男性は50代中盤で、胃下垂でも患っていらっしゃるのかと思わせるほどの鶏ガラ体型。ブカブカのスーツが悲しみを誘い、さらにはスーツにも関わらず、ボサボサの髭と足元に置いたナイロンの青いナップザックがうらぶれ加減に拍車をかけます。

対して、手ぶらの女性は30代前半のようにも見える東南アジア系の女性。が、「いまや浜崎あゆみだってもう少し落ち着いた色味なのに」と思わせるド金髪。Tシャツにスウェット地のパンツ姿でひっきりなしに煙草を吸い続ける、そのノーメイクの肌はやや青黒く、どこをどう切り取っても、夜の蝶々の出勤前です。

いったいこれは、お茶の神様のどういったお計らいなのでしょう。横山大観クラスの掛け軸が安っぽく見えてしまうしつらいと、どんな上流社会の方々とご一緒したところで得られない一期一会の喜び……。あたくしが彼らの横に席をとったのも、ごく自然な成り行きと言えましょう。

で、かれこれ30分以上、この2人は一言も発しません。正確には、男性が向かいの女性に顔を近づけて何か話そうとするたびに、女性が荒々しいため息とともに煙草の煙を男性の顔に盛大に吹きつけるので、男性が何も喋れない……という様式美が3分おきに繰り返されるのです。

かの利久が開いたお茶の席でも、ここまで張り詰めた緊張感はなかったかもしれません。って言うか、彼らの真横30cmの距離で、携帯を使って長々とこんな日記を書いているあたくしも緊張感で壊れそうです。日本古来のお茶の席は、ここまで全身全霊で臨むものだったとは……。

いま、囁くようなボリュームで女性が話し始めました。英語とカタコトの日本語のチャンポンのようです。一期一会の会話をしっかり心に焼き付けなければ……。集中するため、一旦アップいたします。以下、順次……。

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何か話そうとしていた男性は、女性が話し始めてからはずっと無言でうなだれていらっしゃいます。
以下、全て女性のセリフです。



「ワタシたち、どうするよ」
「アナタ、ライアーね」
「アナタ、マネーある言った。ワタシ店やめた」
「アナタ、マネーある言った。だからワタシトーキョー来たよ、一緒に」




想像以上に素晴らしいしつらいですわ……!

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女性のセリフが続きます。




「アナタ言った。今日ホテル使うマネーない。なんで」
「マネージャー怒ってるよ。ワタシ電話しないで店休んだ。3日」
「マネージャー、コワイ人に頼んでるよ。ワタシのこと探すよ」



男性がどうしてビジネスバッグではなくナップザックを持っているかの謎も解けました……。
女性は実家に仕送りする必要のない方のようですわ……。

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いま、この茶室には10人ほどのお客様。みなさん、お茶より固唾を飲むほうに懸命でいらっしゃいます。
しんと張り詰め、破れそうなほどの緊張感。裏千家、なんぼのもんでしょう……。

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女性の独演会が続きます。



「アナタ、ライアーよ。ワタシだましたか?」
「いくら持ってる?アナタいくら持ってる?」



男性がようやく、本当にようやく口を開きました。




「…………800円…………」


ちょっとアナタ! お茶会なんて開いてる場合じゃございませんわ!

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女性が「800円」という日本語の意味を理解するより先に、
彼らの前に座っていた男性がコーヒーを噴いてむせ出しました。
緊張感に耐えられなくなったのでしょう……。
そして他の9人のお客様の緊張はさらに高まります……。

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女性が、「800円」という日本語の貨幣価値を理解したようです。
やおら席を立ち上がり、店から出ようとします。
階段のところで女性の腕をつかむ男性……。


……凄まじい……。

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女性がくめども尽きぬ泉のようにまくし立てます。
ただ困ったことに、使用言葉があたくしのまったく知らない国の言葉に変わりました。
ただ、その言葉をムチのように男性に打ち下ろしていることだけは分かります……。
男性、涙ぐんでる……。


手が震えて携帯がしっかり持てません!

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最後に一際高らかな罵声を浴びせ、男性を突き飛ばし、女性が階下へと駆け下りて行きます。
すぐに後を追おうとした男性が、階段を4〜5段下りたところで立ち止まり、引き返してきました。
え?あきらめたの……?



と思ったら、椅子の下に置いたままのナップザックを取りに戻ってきました……。
あたくし、「所持金800円の人間」の荷物を盗むババアだと思われたようです……。
ちょっとアガるわ……。

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いま、ナップザックを手に、男性も消えました……。
あたくし、あまりの虚脱感で、普段チェーン店では絶対に頼まないお茶菓子をオーダーする勢いです。


残った10人のお客様方とは、何も言葉を交していないのに、 ある濃密な一体感を感じます。
まさに利久の目指した境地……。
なんと素晴らしい一期一会だったでしょう……。
いまからのお友達との約束が楽しみで仕方ありません。
今日の夕食の最高のおかずができましたわ……。