ドラマティックなオンナ

「髪型変えただけで役作り完了した気になってんじゃねえ」と、髪型を変えた後で「のだめ」とはまったくの別人になった上野樹里が、クルクルパーマ以外はいつもとまったく一緒の『チンゲ』(正確には『CHANGE』)の木村拓哉に刃を突きつけた(と、アタシは勝手に思っている)今クールのドラマ界。ここんとこあまりにも忙しすぎて全部を見られたわけではないけれど、『ラスト・フレンズ』の長澤まさみ、いろんな意味で素晴らしかったわ。

 アタシは常々、「清純と愚鈍は紙一重」と思っておりました。沢口靖子しかり、水野真紀しかり、そして長澤まさみしかり(案の定、同じ所属事務所)。で、事務所側は「いかに『愚鈍』を目立たせず、『清純』を前面に押し出すか」という戦略を立て、タレントを長持ちさせることに全精力を傾ける……。それがごく平均的な「売り方」だったはずなのよ。

 なのに長澤まさみ、まだあの若さで、「愚鈍」のほうを前面に押し出した売り方を解禁しちゃいました。早い、アンタ早すぎるわ。

「DVの被害者という役どころ」だってことを最大限考慮に入れたとしても、あのトロいしゃべり方と頭のネジが3本は抜けているんじゃないかという状況判断力に、どうにもこうにもイラッとさせられた方も少なくないはず。なのに結局は、あのあまりにもメルヘンな滑舌と、周囲から「ひとりにしておくと本当の意味で危ない」と思わせる行動の積み重ねで、「愛されキャラ」の中心に収まる……という道を切り開き、逆に一部の意地悪なオカマたちの間で空前の長澤まさみブームが巻き起ったわ。

「わたしのせいなの……」
「ぉぃひぃ……」
「好きな人ができたって(セクシーブレス)……そう言わなきゃ、ソウスケがあきらめてくれない……」
「ごめんね……(セクシーブレス)でも……」
「ルカァ……タケルくぅん……あ・り・が・と(はあと)」

 難しいのよ、この物言い。棒読みでありながら最大限可愛く、でも人の癇にはしっかり障るようなニュアンス……絶妙よ。ええ、要するにアタシも、初めて長澤まさみを見直したの。「ウザいオンナ」をやらせたら、いま長澤まさみの右に出る女優はいないかもしれないわ。

 米倉涼子もたいがいド下手だけど、「悪いオンナ」を早くから解禁して成功したように、長澤まさみにはぜひ「ウザいオンナ」界で頂点を極めていただきたい。必要なのは米倉と同じ「覚悟」よ。視聴者から「うわ、これ、本人の地なんじゃね?」と思われることを米倉が引き受け、悪女役を総取りしたように、長澤まさみはこれからジャパニーズビッチ(もちろん褒め言葉)として君臨していただきたい。

 ところでオカマ界では、「漫画界最強のビッチは『美味しんぼ』の栗田ゆう子」という定説がまかり通っています。コラムニスト「マル。」氏も言うように、あの作品は読み込めば読み込むほど、栗田ゆう子の権謀術数に震えを抑えることができません。「ウブなドジっ子」売りを崩さずに、手始めに山岡士郎を翻弄。自らは売れっ子カメラマンや大会社の社長と浮名を流しながらも、士郎がほんのちょっとでも自分以外のオンナに視線を移した瞬間に、いつの間にか手下に従えた先輩女性社員を使って士郎を虐待。仕事面では「使えない士郎・使える栗田さん」という風説を巧みに巨大化させ、平社員でありながら大新聞社の社主と役員連中を意のままに操るのも朝飯前(ちなみに東西新聞社に託児室ができたのは、手下の先輩女性社員・三谷典子が子どもを生んだときではなく、ゆう子が子どもを生んだときです)。芸術に対する厳しさとその性格の激しさで、誰もがその人の前では借りてきた猫のようにおとなしくなってしまう日本美術界の巨匠・海原雄山でさえ、いまではほとんど自らのパシリ。ひとりだけ、栗田ゆう子の本性に気づきかけたオンナ(二木まり子)には、自分のお下がりのカメラマンをあてがって懐柔。あのオンナが望んだものは、いままですべて手に入っています。まったく凄まじいばかりのやり手です。世が世なら西太后になれるオンナだわ!

 そんな「漫画界最強のビッチ」とまったく同じ意味合いの「女優界最強のビッチ」に一気に名乗りを上げた長澤まさみに、アタシはこれからも猛烈に期待をしております。