デュシャン『泉』(なのにベタ)

 昭和から平成に移り変わるあたりで、「漫画のような」という形容は死に絶えたのかもしれない、と思うことがございます。漫画表現もリアリズムを追求していった結果なのでしょう、バナナの皮で滑って転ぶ、階段を踏み外し、お尻でバウンドしながら降りていく……そういったベタなオチを採用することは、漫画家のプライドが許さなくなったのかもしれません。

 漫画の世界ですらそうなのですから、現実世界がそうそう漫画のようなファンタジー世界の色を帯びることはございません。が、世の中はなんて不思議。そんなふうに高をくくった人間から落とし穴にはまるようにできているものなのです……。

 今日の夜、あたくしは仕事関係の方と、さるお店でお蕎麦を楽しんでおりました。少々疲れ気味ということもあり、あたくしがチョイスしたのはとろろせいろ。大きめの蕎麦猪口の中にたっぷりのとろろが入り、そばつゆとの相性もなかなかのもの。たっぷりとろろをからめても、しゃっきり茹であがった蕎麦は喉越しも上々、これで明日は多少は精がついているかも……。

 お蕎麦を食べ終わるころに出された蕎麦湯も、とろりとした滋味あふれるタイプで、たいそうあたくし好み。それを蕎麦猪口に注ぎ、底に残ったとろろと一緒にグッと飲み干し……という瞬間のことでした。とろろと蕎麦湯と蕎麦の切れ端、薬味のネギが渾然一体となって、喉の真ん中あたりで、まったく未知なる道へと侵入を始めやがったのです。すぐに襲ってきた猛烈な咳き込みを必死で押さえ、「とりあえずトイレに行かなくては。ちゃんと便器に。便器に……!」と席を立ちかけたそのとき、連れの男性もちょうど腰を浮かしかけ、「プリッ」という、いかついルックスにはおよそ似つかわしくない大変キュートな放屁音を……。

 次の瞬間、あたくしの口元からはカフェオレ色の間欠泉が大爆発。その勢いといったらアナタ、評判倒れもいいとこのマーライオンの地位をすぐにでも奪って、シンガポールの観光名所としての名声をほしいままにしたとしても、誰にも文句は言わせませんわ! 当然、向かいの席に座っていた男は、頭から「滝行もかくや」の洗礼を……。

 涙を流すほどの咳き込みが収まって、ようやく視界が開けてくると、向かいオトコの頭髪のそこかしこに蕎麦の切れ端やネギが散らばり、元々は白かったはずのシャツがそばつゆととろろでブラウン系の水玉に……。いやだ……あたくし、こんな光景、史上屈指のベタ漫画『美味しんぼ』くらいでしか見たことがないわ……。

 慌てておしぼりを持ってきたお店の方々の表情がまったく平静だったのを見ると、もしかしたらこの種の「自然の神秘」は蕎麦屋さんではごく当たり前の部類に入るアクシデントなのかもしれませんが……。

 道に落ちている下半身からの排泄物を誤って踏んづけてしまった場合、人は「運がついたと思って、よしとしよう」と言い聞かせ、災難に遭った我が身を慰めるのが通例です。では、上半身からの排泄物を浴びてしまった人に、浴びせた張本人がどんな慰めの言葉をかければいいのでしょうか。女性誌『Oggi』にて、生意気にもマナーの連載を持っていたりするあたくしですが、誰よりもあたくしこそが、マナーというものを一から学ばねばいけないのかもしれません……。