小心者の誤った準備

 マツコ・デラックスから「ビックリ。赤ワインの染みは白ワインで落とせるらしいわ……」というメールが届き、間髪入れずに「では梓みちよ先生は、これから『ナラタージュ』を歌うたびに白いドレスを新調しなくてもいいのね!」と返事をしている高山です。

 たぶんこの日記を読んでくださっている方々の99.9%はご存じないでしょうからご説明しますと、梓みちよの『ナラタージュ』は1980年の作品なのですが、アルバム収録曲だったこともあり、リリース当時はさして大きな話題にはなりませんでした。が、事件が起きたのは、確か86年あたりの『夜のヒットスタジオデラックス』。真っ白なドレス姿で登場した梓みちよは、すでに「セクシー」とも「エレガント」とも「シック」とも違う、もう「マニッシュ系の女装」としか形容できないほどにユニセックス感みなぎるオーラ。そんなオーラを存分に振りまきながら、この歌の途中で高笑いとともに赤ワインを自分の体にぶっかける……という演出に、当時高校生だったアタシは言うまでもなく精神的絶頂に達したものですが、どうやら同じ種類のエクスタシーを感じたオカマが日本国内に250万人ほどいたようで(推定)、以降、この曲はオカマ界でのみ語り継がれる伝説を残したのです。何が凄いって、梓みちよが「女の半生記」ではなく「ニューハーフの半生記」を歌っているというアバンギャルドさ。作詞担当の阿木耀子がまさかここまで攻撃的なオンナだったとは! はあ、カラオケ入らないかしら……。もう『メランコリー』も『小心者』も歌い飽きたわ!

 ちなみにマツコからの再返信は「アタシも梓みちよ先生のことを真っ先に思い出したわ」というもの。ちあきなおみの『夜へ急ぐ人』に精神的絶頂を感じたオカマは雲霞のごとくいる、と、確か1冊目の本で書いたような気がするけれど、梓みちよの『ナラタージュ』も、この種の「オカマセンサー」を刺激してやまない物件ということね。それにしても、アタシもマツコも周りにゲイの友人などいなかった頃、つまりは誰かに「センス」というものを教えてもらう経験がまったくなかった頃から、反応するものが同じというこの不思議。こういうのを「オカマのDNA」というのかしら……。ええ、何度も申しておりますが、アタシにとって「オカマ」とは、セクシュアリティの問題ではなくセンスの問題です。

 さて、13日のラブピースクラブさんの『女祭』にて、お声をかけてくださった方々、本当にありがとうございました。言葉を交わせたこと、半分無理やりにサインをさせてもらったことは、アタシにとっても大きな喜びでした。

 そして、どこまでも自分の喜びを優先させてしまいますが、1冊目を売っていた時期と同様、ラブピースクラブさんで『愛は毒か 毒が愛か』をお買い求め下さる方々には、本にサインを入れ、あわせてメッセージカードを添える……という押し売りサービスを敢行させていただきます。今週の中ごろからラブピースクラブさんで販売されることになるかと思いますが、詳しくはラブピースクラブHPをチェックしてみてくださいませ。

 さて、残る大仕事、11月17日の東京でのトークショー、12月1日の大阪でのトークショーのために、まずは人前に出るとどうしてもひきつってしまう笑顔の練習と、一向に再開できないダイエットを始めなくては……(その前にネタを考えろ)。