わたしに話させて(カズオ・イシグロ リスペクト)

 肝臓がんの診断を受け、手術をして、いったん退院したあと、何人かの友人とおしゃべりしている中で、「思った以上に落ち着ていてホッとした」と言われました。確かに、がんを受け入れるのは、わりとあっさり成功したのかもしれません。ただ、それは「あきらめている」と同じ意味では決してありません。

 私の母はお酒を飲まない人だったのですが、肝臓を病んで倒れたのが、彼女が30歳のとき。そこから8年の長患いを経て、38歳で肝臓がんで亡くなっています。それを間近で見てきたから、「自分にもその可能性はある」と若いうちから思ってきたわけね。で、30歳を超えたあたりから、「38歳を超えたら、そこからは『すべてが丸もうけ』のボーナスステージに突入ね」と思っていたの。ですので、このボーナスステージで起こったことのすべては、あたくしにとって「もしかしたら味わえなかったかもしれない、さまざまなこと」なわけです。

 ひとつ例を挙げるなら…。ド田舎の実家に暮らし、「恋愛がらみ(この期に及んで新刊のタイトルをもじるあたくし)の楽しいことなんて、一生自分には縁がないかもしれない」と思っていたあたくしにとって、大学生になってから今までの間に味わえたことは、まさに「もしかしたら味わえなかった」こと。それらとガッツリ向き合い、痛みや傷も含めて心ゆくまで堪能してきたように、今回のことも「だったらいろいろな角度から味わってみましょうか」という興味のほうが勝っているのです。

 とはいっても、生活に何か大きな変化があるわけでもなく、毎日はお気楽そのもの。ただ、今後、何がどうなっても受け止めて解釈していく覚悟だけはしているの。あたくし個人としては「あと40年くらいは、こういう『覚悟あるお気楽』をやっていきたいわね」なんて思っているのですが、万が一それがかなり早い段階で終わることになったとしても、それはそれ。「予想より早く終わりそう」ということが分かった時点で、お友達との時間をガツンと増やすだけの話だわ。

 2月19日にラブピースクラブさんで行われる「サロン・ド・タカヤマ」では、あたくしの20歳のころの話をからめながら、「もしかしたら味わえなかったこと」と「味わえたあとでわかったこと。味わえたあとで新たに見つかった欲」のことを、みなさんと一緒にお話しできたら、と思っています。お目にかかれるのを楽しみにしています。

 追記
amazonレビューで「このレビューをどこかで読んでくださっている事を祈って」と書いてくださったあなた、ありがたく拝読しました! あなたともいつかきっと、お目にかかりましょうね!