今年の不義理 今年のうちに

 前回の日記からなんと3ヶ月のご無沙汰……。推定2人(いままでは「6人」と書いていましたが、さすがに減ったと思う)の読者の皆様、本当にごめんなさい。

 いつの間にかすっかり年の瀬、みなさんにとっての2009年はいかがなものだったでしょう。あたくしは……いま書いているものがなんとか今年中に目処が立ちそうで、ひとまず脱力しています。「書きあがったら見せて」と言ってくれている編集者もいるので、その人のOKが出たら、そうねえ……初夏までに皆さんにお読みいただけたらいいな、などと思っているのですが。

 このところの不義理の言い訳をするようで心苦しいのですが、書いているもののテーマが、ちょっとまだ記憶に新しいものだったせいで、パソコンの前に座って頭をかきむしったりデスクの上に突っ伏したりしている状態ばかりで時が過ぎていきました。エッセイは、「あ、来た!」と思った瞬間に指が動いて、2時間もしないうちに書きあがるものなのですが、今回は、私小説のようなものにしてしまったせいで、「終わりが見えない」という状況になってしまって。「そんなことに乗り出さなきゃよかったのに」というご意見があるのは至極当然なのですが、「これを書かない限り、というか、書いて自分なりの答えを自分の中でまとめない限り、あたくしは前には進めないだろう」という思いのほうが強かったの。

 一昨年、東京と大阪でトークショーを開いたとき、いらしてくださった読者の方々に「できれば胸の中にしまっておいていただきたい」という前提でお話ししたことと、あの出来事の後に続けてきたことを、ようやく文字にする気になれました(あのときの、こちらからの勝手な申し出をお守りくださった参加者の皆様に、心から感謝申し上げます)。そこから数ヶ月、出来栄えは自分が判断するものではないにせよ、曲がりなりにも形になりそうで、これでようやく、自分なりにいろいろなことに目を向けられそうな予感がしています。

 病気の母親のために身を粉にして働いていたオトコの子と出会ってから、彼のお母様が旅立たれるまで、その5年間の間に、アタシはすべてを失ったのかもしれない。でも、一生手に入らないだろうと思っていたものが手に入ったような気もする。何が幸せで何が不幸か、その答えはまだ出ていないし、これからも出ないかもしれないけれど、少なくとも、2009年中に、自分の中の新しいものの見方、「母」「家族」に関する概念をまとめることができたことはよかったのかもしれません。

 というわけで、来年はちゃんと活動的に生きなければね。2010年、お互いに、ガシガシと、しぶとく、生き抜いてまいりましょう。どうぞよいお年を!